所用で名古屋に行きました。折角だから…と足を運んだのは“トヨタ博物館”。
息子が小学校低学年の時に行って以来だったので、10年ぶりです。
何度か話題にさせてもらっていますが、幼い頃からクルマ好きの息子、レジャーもクルマ絡みが多かったです。
実は、今回も彼のリクエスト。
建物の2階・3階を使って、自動車の歴史にあわせて車両がずらりと展示されています。その数、約140台!
1890年から1910年代、自動車の黎明期…。ガソリン車よりも電気自動車が先だったのは知りませんでした。
1910年から1930年代、どんどん進化して大衆化する中、豪華車も登場します。
「おっ、ホワイトウォールタイヤだ!」と息子。キョトンとする私達に「“カーズ”であったやん。」と。確かにルイジがマックイーンに語るシーンあったな。聞き流してたけど。
日本でも自動車量産の試みがなされます。1920年から1930年代の頃です。
日本で自動車の需要が増したきっかけは、関東大震災で鉄道が壊滅的なダメージを受けたからだそうです。
多くの外国車(特に米国車)が輸入され、フォードやゼネラル・モーターズは、日本に工場を建設するほどでした。
そんな中での国産車への思い…となると、真っ先に思い浮かぶのは豊田喜一郎さんでしたが、他にも活躍されていた方がいらっしゃったのですね。
こちら↓は現存する最古のダットサン。ダットサンの歴史はトヨタ自動車(豊田織機は別にして)よりも古いそうで。ダットサンの源流となる自動車メーカー“快進社自動車工場”は日本初の自動車製造会社です。そして、この快進社が“ダット自動車製造”を経て“日産自動車”となるのです。
この辺りの説明、10年前に訪れた時もあったと思うですが、当時は色々な車を見て舞い上がってる息子を眺めてただけだったのでしょうね。
10年前にはなかった、新たな展示エリア“クルマづくり日本史”でも、より詳しく学べます。
国産初のガソリン車(タクリー号)も展示されていました。
「本田宗一郎が小さい頃、走って追いかけてたらしい。」と息子。伝記で読んだそうな。
そういえば、豊田喜一郎さん、本田宗一郎さん、鈴木道雄さんは静岡県出身、“快進社”の橋本増治郎さんも愛知県出身。東海地方凄い!!
さて、戦時中は軍用トラックに押されて廃れてしまった乗用車ですが、1950年代から各国で乗用車の製造が再出発します。
「おおっ!“三丁目の夕日”ででている車!!」と息子。そういえば、そんなのを読んでいたな。
1960年代・1970年代・1980年代・1990年…と特色あるクルマが並んでいます。
このエリアぐらいから、「これ、乗ってた!!」「欲しかったんだよね~」等という声が聞こえてきます。
ほぼ私達夫婦と同世代と思われる方々です。
その中で「これ、今だと中古市場で〇〇円でさ…」と呟く息子。古き良き時代の憧れがあるようです。
そして「やっぱ、カッコいいわ~」というのが、これ。
トヨタ2000GT(左手前)とトヨタスポーツ800(右奥)。
トヨタスポーツ800だから、通称ヨタハチ…やっと理解したかも。
最近はスポーツカー少ないもんね。その辺りも、息子がクラシックカーに憧れる理由かもしれません。
そして、こちらも10年前にはなかった展示、「クルマ文化資料室」です。
錦絵からポスター、自動車切手、カタログ、雑誌…等々、クルマ文化資料が展示されています。
年代ごとにミニカーがずらり。
車にのっかっているカーマスコットもずらり。
エンブレムもずらり。クルマ好きには、こういうのも堪らんのかしら。そういえば、小学校の頃の息子の愛読書?は、エンブレム全集でした。(もう中古本でしかないみたいですが。)
車のカタログもずらり。約12万点を所蔵しているとのこと。
「おおっ!ケンメリのスカイライン!!」(どれでしょう?^^;)と息子。
“ケンメリ”は4代目のスカイライン。ケンとメリーがスカイラインで旅をするCMが話題になったそうです。1972年から1977年のことだそうで。
子供だった私が知るはずもなく、なんで君が知ってるのだか。
他にも、車がテーマとなっている絵本や書籍も展示されていました。
以前ご紹介した「雨の日には車をみがいて(五木寛之著)」も!(あなたにとって車とは? 〜「雨の日には車をみがいて」を読んで)
絵本や書籍…といえば、トヨタ博物館には図書室もあります。
貸し出しは行われていないのですが、車がテーマとなっている絵本や小説は勿論のこと、自動車に関する専門的な書物や自動車メーカーに関する書物を国内外問わず閲覧できます。かなり充実しています。
無料のエリアなので、「近くに住んでいたら、夏休みは毎日通っていたかも。」と息子。
確かに、クルマ好きには堪らない空間かも。
最後にミュージアムショップで、トヨタ2000GTのカタログ(復刻版)に興奮する息子。
近くでは、小さな子供がミニカー持って喜んでいました。
…まさに同レベル。
名古屋での所用は、息子の進路に関することでした。
親とは違う道で、好きなことで勝負しようとする息子を前に「そりゃそーだ」と応援するしかないと教えてくれた“三つ子の魂…”でした。
好きなことでの色々な夢があると思います。
それが将来につながるかどうかは誰もわからないけれど、夢みたことや夢に向かって励んだことをバネに、しっかり生きてほしいと願うばかりの母でした。
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