古くて新しい健康法・・・「養生訓」を読む

漢方

「養生訓」をご存じでしょうか。

「養生訓」は江戸時代の儒学者で自然科学にも通じていた貝原益軒の著作です。
貝原先生、83歳の時に記されたこの健康本は当時のベストセラーになったそうです。
確かに80過ぎの元気なお年寄りの養生法であれば信憑性も高くなる・・・に違いない?訳で。

断片的な内容しか知らなかったので、一度きちんと読んでみました。(現代語訳だけど。)

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「養生訓」の内容は?

養生訓は養生についての総論、食事や住まい、睡眠、排泄、入浴等の生活における注意点、病気になった時の医者のかかり方と薬や灸の用い方等の各論で構成されています。
非常に多岐かつ痒い所に手が届く細かい内容です。

では、具体的にどのような事が書かれているのか…。一個人の独断と偏見ですが、印象的な部分をご紹介したいと思います。(注:書かれている順番通りのご紹介ではありません。)

「人間のからだは父母をもとにし、天地をはじまりとしたものである」

冒頭、貝原先生は「人のからだは自分だけの所有物でない」と述べています。天地からいただき、父母が残した身体だから養生して長生きし、できることなら幸福になり喜び楽しもう…。ごもっともです。
貝原先生曰く、「すべての人間の天寿は、たいていは長い」そうで(根拠はちょっとわかりませんが・・・)、短くなるのは養生をしないからだと繰り返し書かれています。
では、養生を続けて80過ぎまでアクティブだった貝原先生の「養生」とはいかなるものかというと、これが中々ストイックで・・・。

「およそ養生は、内欲を我慢するのを根本とする」

内欲とは、飲食の欲・好色の欲・眠りの欲・話しまくりたい欲・七情(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の感情)の欲のこと。
これらを我慢すれば気(≒エネルギー)が強くなって、健康をそこなう外邪(風・寒・暑・湿)からも身を守ることができるとのこと。

食べ過ぎ飲み過ぎに気をつけ、色欲を慎み、睡眠を貪らず、無用の言葉を省いて口数を少なくし、感情に左右されず心を安らかにする・・・。
仙人か修行僧の生活のように思えたのは私だけでしょうか。

特に飲食に関しては、沢山食べない、飲まない、健康をそこなうもの(かなり細かく記されています)を食べない、そして食べてすぐに横になったり寝てしまったりしてはいけない…と繰り返し書かれています。

確かに食べ過ぎは脾胃(≒消化器)をそこね、気が滞り、様々な不調があらわれます。

脾胃は食物から栄養を吸収し、エネルギーを生み出す臓器であり、漢方では脾胃を立て直すことが重要視されます。そして、身体を動かすことにより気のめぐりや血流を含めた循環が良くなれば、脾胃の働きも良くなります。

貝原先生いわく、「ながく楽な姿勢で座っていてはいけない。」「毎日、食後にはかならず庭のなかを数百歩しずかに歩くがよい」と。親切?なことに、雨の日は部屋のなかを何度も歩け…とまで書かれています。

「およそ薬と鍼灸を使うのは、やむをえない下策である」

食事に気をつけ、適度に身体を動かし、適切な睡眠をとる…。これといって特別なことでも、お金のかかることでもありません。ですが、当たり前の事を当たり前にする、それを日々続けるのは、中々難しいのではないでしょうか。

そして、つい不養生で体調を崩し医療に頼る訳ですが、貝原先生はそれを「やむをえない下策である」と断じています。
「飲食・色欲を慎み、寝る時刻、起きる時刻を定め、養生をよくすれば病気はないものだ」と。

確かに、漢方では「未病を治す≒病気を未然に防ぐ」ことが上策とされています。
薬と鍼灸(医療)が下策とされるのは、人体への影響が大きいからです。
以前に漢方薬の副作用についてご紹介(「漢方薬に副作用はないのか?」)させていただきましたが、利害は様々で、作用の強い(良く効く)ものは副作用も大きいことが多いです。

その為でしょうか、貝原先生は「何事もあまりよくしようとして急ぐと、きっと悪くなる」と記しています。病気になったからといって、医者を選ばずむやみに医者を求め、薬や鍼灸を使うとかえって害になることがあると。病を知り、病状をよくみて薬を用いる「良医」にかかることが大切で、そうした良医はむしろ薬を用いないこともあると説かれています。

さて、それでも薬を用いる時は・・・。ここでも薬の選び方、煎じ方、薬の分量等々、詳しく説明されています。
特に、薬の分量について具体的な数字をあげて述べられています。
いやいや、いくら貝原先生が自然科学の分野にお詳しいとはいえ、お医者様でもないのに(実際、「自分で医薬を使うよりも、良医を選んでまかすべきである」とも書かれているし)そこまで言っちゃっていいの・・・と思いながら読み進めていると、「医者でもないのに、ものずきだとそしられることであろう」と書かれていました。
そして、願わくば見識のある人が日本人の生まれつきに応じて(当時から本場中国での薬の用い方との違いについて議論がなされていたようです)過不足なく分量を定めて欲しいと。
先を読まれている感がいっぱい・・・。ここまでくると、痒い所に手が届く内容を通り越して、ああ言えばこう言う・・・みたいな感じもあったりして。

「こころはからだの主人である」

このような養生を志す人は、思慮が必要だとも書かれています。思慮をして是非を見極め、怒りを抑える・・・。主人である心が安らかで静かだと身体も自ずと健やかだということでしょうか。漢方の考え方でいう「形神一体(心と身体は関わりあって切り離して考えることはできない)」かと。
貝原先生は身体の健康と同じくらい、心の健康についても説かれています。
人を恨み、怒り、自分を憂えて心を苦しめることはせず、日々を楽しめ・・・と。
「すべてのことは、十のうち十までよくなろうとすると、心の負担になって楽しみがない」とも。

漢方では中庸(偏りのないこと・過不足のないこと)が大事とされています。
養生もやり過ぎで負担にならぬよう、程々に・・・なんて言ったら、「都合の良い解釈!」とお𠮟りをうけるかな。
  

最後に

「養生訓」から印象的だった部分をご紹介しました。
専門的に研究されている方からすれば、解釈がおかしい部分があったかも。あくまで私の読後感(ここは強調)ということで、お許しいただければと思います。

「養生訓」の現代語訳は複数出版されているようですが、私が手にしたのは小児科医で育児評論家でもあった松田道雄先生が訳された本(中央公論新社)です。


松田先生は、「こころはからだの主人である」という言葉は「自分の健康についての自己決定」と解説されていました。(ここで私の解釈のおかしさが露呈・・・。)
自分の身体と向き合い、思慮をもって是非を見極め、良医を選び、治療法を自分で決める・・・。
「養生訓」は自分の健康についての自己決定権の見事な手本である・・・と書かれています。

お手本とはいえ、今の科学の観点では首をかしげる箇所もいくつかあります。「うーん、迷信の類?」とネット検索しながら読むのも楽しかったです。
こちらの本の初版は昭和ですが、既にそうした箇所を指摘されています。それでも松田先生は解説でこう述べられています。
「(貝原)益軒のいう医者をえらぶ精神が現在の人間にかけているのは、自分の健康の問題を、まったく医者の技術にまかせて、自分の生き方の問題であると思わないところからきている。その意味で『養生訓』は風化していない。」

・・・手厳しいですね。
ただ、コロナ禍でこの問題を考えさせられる事になった方も多いのではないでしょうか。
新型コロナウイルスが蔓延しだした当初は、発熱や風邪症状を訴えても受診を断られるケースが相次ぎました。
感染を恐れ、自ら受診を控える方も沢山いらっしゃいました。
適切な治療を受けられずに不幸な転帰を辿った方がいらっしゃる一方、自宅で過ごし(ごく普通の風邪などで)何事もなく回復された方も多かったようです。
貝原先生はこうも書かれています。
薬を飲まないで自然になおる病気が多い
勿論、必要な医療を受けられる体制が整っている事が大前提ですが、自分自身の健康管理を含めたセルフメディケーションが取り上げられる令和の今でも、「養生訓」は決して風化していないと思います。

皆様も「養生訓」・・・如何でしょうか。

コメント

  1. tabisurueiyoushi より:

    買っちゃいました。「養生訓」(笑)
    おすすめされてた松田道雄訳のものにしました。
    届くのが楽しみです(*^^)v

    • 薬剤師A 薬剤師A より:

      コメント、ありがとうございます!
      楽しんでいただけるとよいのですが。(^^;)
      私は一通り読んで、小見出しごとに拾い読みしています。

  2. tabisurueiyoushi より:

    先週届いたんですが、忙しくて読めず…。
    今週から暇になるので、読んでみます(*^^)v